最終更新日:2006年10月03日

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ネパールの村で撮影した写真です。
ネパクラ・プライマリー スクール
タキギを刈ってバザーへ売りに行く子ども達。子ども達も家庭の大切な労働力です。
甲状腺が大きく腫れたままの女性。手術が必要です。
寄生虫の駆除後のケアを説明している。薬だけ与えるのではなく、このように子ども達にも続けて保健衛生指導をしています。未就学児も対象。
文盲女性のための識字教育。母国語の読み書きの練習風景。この女性たちは両親もまた文盲のため、役所に出生届が出来ず、自分の年齢を知りません。
体内にハエの子(ウジ)がわいていて、頭部に何箇所もハエの出ていった穴があいています。
ハンセン病の患者。長い間放置していたので、手足の指が変形して少なくなってしまいました。ネパールでは結核・ハンセン病にかかっている人はともに人口2500万人の内1%づつおり、社会的差別を受けています。私達はこの様な人々のための治療にあたっています。

 

2001.3 毎日新聞「地域のニュース」に掲載されました。

一般会員 年会費 2300円
賛助会員 金額自由
寄付はこちら 郵便振替 01140-1-73506
「アジアン ママ」
お問い合わせは 森田磨里



5年前の阪神大震災で、勤め先の会社のビルが全壊、あ然と立ち尽くしていたときのことです。ふと、瓦礫の中から拾い上げた新聞記事に目が止まりました。

「ネパール人農業研修生のホームステイ先を求む」という小さな見だし。
駆り立てられるような気持ちで申込みの手続きをして,やがてネパールから一人の青年が我が家にやってきました。

それまで先進国のことしか知らなかった私にとって、彼から聞く話は驚くことばかり。

ある日、研修先の養豚所から帰ってきた彼が、

「日本の豚はネパールの村人よりもご馳走を食べている」といって泣きました。

豚のえさにホテルの残飯を使っていたのです。胸がいっぱいになりました。
発展途上国と呼ばれる国々の中でも,最も貧しい国の一つと言われるネパール。

更に,その国内で,発展から置き去りにされた人々の姿が,彼の話を聞いているうちにだんだん身近になってきました。

私もまた震災で多くのものを失っていました。
でも,この人達になにかできることはないだろうか、ただかわいそうと思うだけでなく,私の手で何か役に立つことは出来ないか、そんな思いでいたとき,たまたま,留学中のネパール人医師と出会いました。


彼はこう言ってくれたのです。
「今,すでにある大きな団体に寄付するよりも,これから森田さんが直接ネパールの村に薬を送って,病人が元気になる姿を自分の目で見たらどうですか。私が手伝いますから」

あっ。そうなんだ!そんなことができるんだ!

彼の言葉は私の心臓を貫き,体を爆発させました。このとき、私の中にひとつの夢が、はっきりとしたビジョンとなってうまれました。震災の年の秋のことでした。

我が家は、母と息子一人の母子家庭、普通のおばさん仕事持ちの時間なし。
でも、自分の限界に挑戦。毎日の通勤電車車中でネパール語を独学。異国の文字の読み書きは40才を過ぎた頭にはきついのなんの・・・。会社と,家事の合間に賛同者を募り,夜中まで古い知人に何十通も手紙を書きつづけました。

公衆衛生学を当時薬学生だった息子に教えてもらい,一緒にやっていこうと言ってくれたネパール人医師は、留学中の多忙な時間をさいて、何度も打合せの時間を持ってくれました。現地にはネパール人医師と、交代で渡航して準備を進めたのです。

息子の反対を押しきり,会社を辞めての一人旅。ダニの大群と感染病におびえ2ヶ月滞在して帰国。アルバイトで次の渡航費用と息子の生活費を稼ぎ、またネパールへの繰り返し。

言葉の違う,誰一人知り合いもいない,遠い国の村で見た,夜空から落ちてきそうな天の川と,蛍の大群。私の選んだ道は間違っていないと叫びつづけました。

2年後の平成9年、ようやく村で移動診療所,文盲女性のための読み書き教育、母子保健衛生指導といった取り組みが始まりました。ちいさな小学校も開設できました。

ネパールには世界中から星の数ほど支援団体が入っていますが、私が向こうで見たり聞いたりしたNGOの内情は、残念ながら声にだしていえない汚れたものもありました。
私自身もまわりの非難中傷や、失敗に泣かされながら、それでも私はアクセルを踏みつづけました。
国際ボランティアは私のようなお金・コネ・肩書き・時間すべてナシの人間にはできないのだろうか?

でも、村で夜通し聞こえた、疫病で死んだ子どもへのお通夜の歌が、今も私の耳の奥で響いています。


手足の指がなくなるまで病気が進んだハンセン病の人々。
ウジ虫に体の肉をくわれ皮膚が穴だらけの女の子。
胴体に骨や内臓が見える大きな穴が開き,痛い痛いと泣きながら死んでいった垢まみれの青年。

私達と同じ人間なのに、生まれてくる国も場所も選べない。私はやります、お金やモノ、コネに頼らない本当の支援を。

ネパールは貧しい国です。その貧しさの中で、年長の兄姉は、自分を犠牲にして、弟妹児の子守りと家畜の世話をします。
ケーキやアイスクリームの存在すら知らず。でも、大勢の兄弟を通じて集団の秩序を学び,笑顔で両親の仕事を助けています。


国内のほとんどの村に医者がいなくて、うまれた子どもの5人に1人が、5才の誕生日を迎える前に死んでしまう国,ネパール。それにひきかえ、うまれたときからあふれるものに囲まれ、高価なおもちゃとテレビゲームのヒーローが友達。我慢をしないで,大人も子どもも流行を追いかける。

我が国日本は,くしゃみひとつで歩いて5分の医者に行くことができるのです。
本当の豊かさって何だろう?皆さんはどう思われますか?

実はこれまでに、神戸市内の高倉・神出・須磨北・神陵台・鷹取・鵯台の各中学校、神戸市立垂水養護学校、明石市立山手小学校で,総合学習授業や講演させていただく機会に恵まれたのですが、ネパールと日本の違いに中学生たちは真剣に耳を傾けてくれ、3っつの学校全ての生徒の感想文に「恵まれた日本の生活を当たり前と思わず、両親のお手伝いをしてボランティア活動をしたい。森田磨里さん、どうか私達の代わりに病気の人や子どもをたすけてください。」と書かれてあるのです。

生徒会で支援活動に取り組むなど、反響の大きさに先生方が大変驚かれました。
みんな神戸の中学生。わたしにはマスコミを賑わせた悲しい「神戸の中学生」ではなく、誇らしくも頼もしい神戸の中学生です。

いま、村に建設中の医療センターの運営には、この神戸の中学生も参加してくれています。中学生だって出来る、国際ボランティアなのです。普通のおばさんである私ですが、信念を貫けば全ての夢はかならずかなうよと、中学生に話しています。

ネパール人医師と私のたった2人で立ち上げたNGOが、ネパールと日本の子ども達の「架け橋作り」という、更に新しい夢にむかっていることをお知らせして終わりにします。

 



詳しいことをお知りになりたい方はお気軽にお問い合わせください。
 ASIAN MAMA アジアンママ
代表者:森田磨里
所在地:兵庫県神戸市
kritijun@yahoo.co.jp

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