|
5年前の阪神大震災で、勤め先の会社のビルが全壊、あ然と立ち尽くしていたときのことです。ふと、瓦礫の中から拾い上げた新聞記事に目が止まりました。
「ネパール人農業研修生のホームステイ先を求む」という小さな見だし。
駆り立てられるような気持ちで申込みの手続きをして,やがてネパールから一人の青年が我が家にやってきました。
それまで先進国のことしか知らなかった私にとって、彼から聞く話は驚くことばかり。
ある日、研修先の養豚所から帰ってきた彼が、
「日本の豚はネパールの村人よりもご馳走を食べている」といって泣きました。
豚のえさにホテルの残飯を使っていたのです。胸がいっぱいになりました。
発展途上国と呼ばれる国々の中でも,最も貧しい国の一つと言われるネパール。
更に,その国内で,発展から置き去りにされた人々の姿が,彼の話を聞いているうちにだんだん身近になってきました。
私もまた震災で多くのものを失っていました。
でも,この人達になにかできることはないだろうか、ただかわいそうと思うだけでなく,私の手で何か役に立つことは出来ないか、そんな思いでいたとき,たまたま,留学中のネパール人医師と出会いました。
彼はこう言ってくれたのです。
「今,すでにある大きな団体に寄付するよりも,これから森田さんが直接ネパールの村に薬を送って,病人が元気になる姿を自分の目で見たらどうですか。私が手伝いますから」
あっ。そうなんだ!そんなことができるんだ!
彼の言葉は私の心臓を貫き,体を爆発させました。このとき、私の中にひとつの夢が、はっきりとしたビジョンとなってうまれました。震災の年の秋のことでした。
我が家は、母と息子一人の母子家庭、普通のおばさん仕事持ちの時間なし。
でも、自分の限界に挑戦。毎日の通勤電車車中でネパール語を独学。異国の文字の読み書きは40才を過ぎた頭にはきついのなんの・・・。会社と,家事の合間に賛同者を募り,夜中まで古い知人に何十通も手紙を書きつづけました。
公衆衛生学を当時薬学生だった息子に教えてもらい,一緒にやっていこうと言ってくれたネパール人医師は、留学中の多忙な時間をさいて、何度も打合せの時間を持ってくれました。現地にはネパール人医師と、交代で渡航して準備を進めたのです。
息子の反対を押しきり,会社を辞めての一人旅。ダニの大群と感染病におびえ2ヶ月滞在して帰国。アルバイトで次の渡航費用と息子の生活費を稼ぎ、またネパールへの繰り返し。
言葉の違う,誰一人知り合いもいない,遠い国の村で見た,夜空から落ちてきそうな天の川と,蛍の大群。私の選んだ道は間違っていないと叫びつづけました。
2年後の平成9年、ようやく村で移動診療所,文盲女性のための読み書き教育、母子保健衛生指導といった取り組みが始まりました。ちいさな小学校も開設できました。
ネパールには世界中から星の数ほど支援団体が入っていますが、私が向こうで見たり聞いたりしたNGOの内情は、残念ながら声にだしていえない汚れたものもありました。
私自身もまわりの非難中傷や、失敗に泣かされながら、それでも私はアクセルを踏みつづけました。
国際ボランティアは私のようなお金・コネ・肩書き・時間すべてナシの人間にはできないのだろうか?
でも、村で夜通し聞こえた、疫病で死んだ子どもへのお通夜の歌が、今も私の耳の奥で響いています。
手足の指がなくなるまで病気が進んだハンセン病の人々。
ウジ虫に体の肉をくわれ皮膚が穴だらけの女の子。
胴体に骨や内臓が見える大きな穴が開き,痛い痛いと泣きながら死んでいった垢まみれの青年。
私達と同じ人間なのに、生まれてくる国も場所も選べない。私はやります、お金やモノ、コネに頼らない本当の支援を。
ネパールは貧しい国です。その貧しさの中で、年長の兄姉は、自分を犠牲にして、弟妹児の子守りと家畜の世話をします。
ケーキやアイスクリームの存在すら知らず。でも、大勢の兄弟を通じて集団の秩序を学び,笑顔で両親の仕事を助けています。
国内のほとんどの村に医者がいなくて、うまれた子どもの5人に1人が、5才の誕生日を迎える前に死んでしまう国,ネパール。それにひきかえ、うまれたときからあふれるものに囲まれ、高価なおもちゃとテレビゲームのヒーローが友達。我慢をしないで,大人も子どもも流行を追いかける。
我が国日本は,くしゃみひとつで歩いて5分の医者に行くことができるのです。
本当の豊かさって何だろう?皆さんはどう思われますか?
実はこれまでに、神戸市内の高倉・神出・須磨北・神陵台・鷹取・鵯台の各中学校、神戸市立垂水養護学校、明石市立山手小学校で,総合学習授業や講演させていただく機会に恵まれたのですが、ネパールと日本の違いに中学生たちは真剣に耳を傾けてくれ、3っつの学校全ての生徒の感想文に「恵まれた日本の生活を当たり前と思わず、両親のお手伝いをしてボランティア活動をしたい。森田磨里さん、どうか私達の代わりに病気の人や子どもをたすけてください。」と書かれてあるのです。
生徒会で支援活動に取り組むなど、反響の大きさに先生方が大変驚かれました。
みんな神戸の中学生。わたしにはマスコミを賑わせた悲しい「神戸の中学生」ではなく、誇らしくも頼もしい神戸の中学生です。
いま、村に建設中の医療センターの運営には、この神戸の中学生も参加してくれています。中学生だって出来る、国際ボランティアなのです。普通のおばさんである私ですが、信念を貫けば全ての夢はかならずかなうよと、中学生に話しています。
ネパール人医師と私のたった2人で立ち上げたNGOが、ネパールと日本の子ども達の「架け橋作り」という、更に新しい夢にむかっていることをお知らせして終わりにします。
|